多様性とは「サバたま」のようなこと
こんばんは。
切り口が面白くて最近読ませていただいていたブログのお方が、昨日怒っていらっしゃったようです。
( はてなブックマークユーザに腹が立ってる件について - にんじんの塔 )
今回の記事を読んで私の思考は「多様性のはなし」へと飛んでいきました。上記のブログの内容とはほぼほぼ関係ないですが、思考がふらふらしていくのはいつものことであります。
そういうわけで、今日は多様性について思ったことをつらつらと。
肩書きやら年齢やら、自分とは違うと批判や非難ってしたくなるもの。
あとは、一般論ないしは常識と違うとよく批判されますよね。
今日ちょうどゴールデンタイムの番組でLGBTの話が出ていたのですが、あまり知らなかったので「そういう人たちもいるんだぁ」とふむふむしていました。
そういえば以前NHKでもやっていたかもしれません。
「多様性」というと印象深いのは金子みすゞの「わたしと小鳥と鈴と」ですかね。
小学校の時に習ったまま、なぜかずっと覚えています。
「みんなちがってみんないい」
とは、すべてに対して本気でそう思って言えたらすごいですよね。
いい=自分とは違う人を尊敬する、という意味で。
私にはせいぜい「自分とは違うけどまぁいいじゃないか」くらいが限界です。
前職で多様性を受け入れる大事さをよく説かれていたのですが、受け入れることって難しいです。
自分と違う考えを理解しようとすることには脳みそをとても使います。
うまくいって理解できたとしても、認めることはできないこともあります。
今日の我が家の夕飯は、さばの塩焼きとニラたまが一皿に同居していました。
これってとてもじゃないけど、ありえない組み合わせ。
自分で載せておいてなんだけど、ひどいと思う。
受け入れがたい。
だって隣にあるのは通常大根おろしなはず(大根先生は不在でした)!
ありえない…でももうそこにある…!
あるものをああだこうだ言っても、どうしようもないかも。
結局いろいろ書きましたが、今日の夕飯の組み合わせがあんまりひどくて誰かに話したかっただけ、と そういうお話でした。
うん、やっぱり画にならない。